情熱が宿るもの

   

おはようございます!コーチの皆川です。

今回のテーマは、前回の記事に引き続き、

情熱が宿るものについてお話しします。

前回の記事はこちら

 

僕は個人的に、情熱は人間が作ったもの自体には

宿らないと思っています。

 

例えば、仕事。

 

仕事はすべて人間が作り出したものですよね?

仕事は時代に合わせて新しいものが出たり、無くなったりしています。

 

うちの母親が30代のころは、ワープロ係という仕事があったそうです。

ブラインドタッチで文字を打てて、文章をまとめることができれば

それが価値になり、仕事になりました。

 

今の時代は、事務系の仕事に少しでも携わるならワードができて当たり前です。

僕が高校生のころは、商業科では簿記の資格を取ることが当たり前でした。

今は、簿記の資格がなくても、そういった会計ソフトがたくさんあるので、

あまり価値がある資格ではなくなりました。

 

もし仮に、仕事自体に情熱が宿ると仮定して、

その仕事が無くなったとしたら、その情熱は消えてしまうのでしょうか?

どう思いますか?

 

以前やっていた才能の見つけ方セミナーで、

僕は受講生たちにこのようなことを聞くことがありました。

 

「もし世界に野球というものが存在しなかったら、

イチローは情熱を持っていないと思いますか?」


僕はコーチングが大好きですし、

コーチという生き方に誇りを持っていますが、

コーチングに情熱があるわけではありません。

 

コーチという仕事は、僕にとって手段です。

 

だから実際はコーチングに情熱を持っているのではなく、

『この仕事を通して自分はどうなりたいのか?』の部分に

情熱を燃やしています。

 

つまり情熱とは、『自分の存在理由』に宿ることだと思っています。

 

情熱を言語化する時に注意することは、

情熱は具体化しようとすればするほど、遠ざかっていく

ということです。

 

僕の情熱は「目の前の人に絶対に良くなってもらう」です。

つまり、それができる自分という存在に情熱を持っています。

 

これを話すと、「良くなるって具体的にどういうこと?」と

たまに人に聞かれることがあります。

 

そんな時は、僕は逆に質問をします。

「あなたにとって良くなるとはどういうことですか?

そこに対して絶対にそうなってもらうとコミットしてます」

 

マーケティング的な視点からすると、

専門分野として情熱をひとつの仕事に結びつけようとすると、

必ず情熱から離れてしまうと思っています。

 

だから情熱とは常に、

人に伝える時には言葉としては、抽象的な表現になると思っています。

 

 

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